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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)5906号 判決 1972年3月17日

原告 小沢佳代子

右訴訟代理人弁護士 小林保夫

右同 酉井善一

右同 林伸豪

被告 富士輸送機工業株式会社

右代表者代表取締役 内山正太郎

右訴訟代理人弁護士 小倉武雄

右同 密門光昭

右同 青野正勝

右同 鈴木純雄

主文

一  原告が被告本社総務課の従業員たる地位を有することを確認する。

二  被告の原告に対する昭和三九年八月三一日付休職処分の意思表示が無効であることを確認する。

三  被告は原告に対し、(一)金四、二〇六、九四三円およびこれに対する昭和四六年一二月一日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員および(二)昭和四六年一二月以降毎月二五日限り金五七、〇九六円ずつを支払え。

四  原告その余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は全部被告の負担とする。

六  この判決は前記三(一)項につき原告において仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一  被告会社はエレベーター、コンベアー、立体駐車場、エスカレーター、ロープウェイの受注、製作、据付等を営業目的とし、昭和三九年四月現在大阪市西区靱一丁目八〇番地に本社、市内淀川区に塚本工場、その他全国に支店、営業所等を置き、昭和三八年九月三〇日現在従業員総数五〇九名、内本社従業員二三一名を擁していたこと、原告は昭和二九年三月一五日被告本社総務部に事務員として入社し、昭和三三年五月からタイピストとして同課に勤務したこと、被告会社は昭和三九年四月二五日原告を「京都サービス・ステーション」に勤務を命ずる旨本件転勤命令を発し、かつ、同年九月一日原告に到達の内容証明郵便で就業規則第四六条の規定にもとづき原告を休職処分に付し、同日以降原告に対し賃金等の支払いを一切しないこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  原告は本件転勤命令および休職処分はいずれも原告の組合活動を理由とする不利益取扱であり不当労働行為に該当すると主張するので検討する。

1  本社労組の組合活動と被告会社の労務対策

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(一)  本社労組は昭和三四年二月の結成当初は係長クラスの職制によって運営され、被告会社の労務対策を含めた経営方針全般に協力的であったが、昭和三五年六月の第三期組合役員改選を契機として新らたに選出された新執行部は従来の組合活動方針を全面的に改め、日常的な情宣活動を活発に実施して組合員の権利意識の啓発に積極的に努めるとともに、労働条件改善のための組合活動を強化し推進した。すなわち、同年度夏季一時金要求においては、かねてよりの課題であった塚本労組と共闘体制を組織して結成以来はじめてスト権を確立し、また、同年六月には数年間にわたる時間外労働割増賃金の誤算を指摘して過去二年に遡及して差額の支払いを受け、かつ、従来から無償で実施されてきた女子の早出掃除作業の慣行を廃止させ、同年一〇月には組合規約を全面的に改正して総評全国一般大阪地連に加盟し、翌三六年の春闘に際しては塚本労組との共闘のもとに結成以来はじめて賃上闘争を組織、展開し平均四、七〇〇円の賃上を獲得するなど闘う労組としての姿勢を明確にした。被告会社は本社労組のかような姿勢の転換と活動に対応するかのように、昭和三五年七月労務課を新設して課長代理(課長は欠員)に本社労組初代委員長東博を任命するとともに、同年一〇月には労務担当総務部長として関西経営者協議会事務局次長碓氷教一を迎え、それぞれ労務対策にあたらせた。しかし、昭和三六年の春闘や年末一時金の交渉で組合の要求を大幅に容れるなどその成果が不十分とみるや、同年暮には碓氷を解任して代表取締役内山正太郎が総務部長を兼任して自ら労務対策に従事し、昭和三七年九月には新らたに総務部長代理に藤本朗、労務課長に久保田忠夫、同課長代理に島倉淳をそれぞれ任命して労務管理における人事面を整備、充実した。しかし、その間、本社労組内部においても運動方針や組合活動に反対する組合員があって昭和三五年一一月には本社の係長全員一一名が、昭和三七年二月には本社、東京支店の約五〇名の組合員がそれぞれ脱退し、塚本労組脱退者約二〇名とともに統一組合を結成し、ここに被告会社においては本社労組、塚本労組、統一組合の三労組がていりつすることとなった。本社労組と被告会社との対立関係は昭和三八年暮ごろから徐々に深まり、被告会社は本社労組の活動に対し、漸次、抑制措置を強化するようになった。すなわち、被告会社は昭和三八年年末一時金の団体交渉においては、これまでの態度とは変って交渉による解決に熱意を示さず、また、昭和三九年一月には組合役員九名中委員長を含めた七名が所属する施設部の控室や女子更衣室の不透明ガラスを一部透明ガラスなどに取替えてその挙動が職制の位置から望見できるようにし、かつ、それに至る通路を一本に規制するなど労務監視体制を強化し、さらに、同月二四日には昭和三五年六月以来、事前または事後の通告書の提出によって実施されてきた就業時間中の組合活動に対して組合に諮ることもせずに一方的に被告会社の事前の承認を受けることを要求し、承認のない右組合活動は職場放棄とする旨通告し、同年二月一五日には本社労組結成以来行われてきたチェック・オフを三労組のうち、本社労組についてのみこれを廃止した。そして、同年二月二〇日ごろからは被告会社は企業における規律と秩序の確立のための運動と称して「土壌をよくする運動」を提唱、推進し、内山社長自ら社内放送を通じて秩序ある職場環境の確立の必要性を力説するとともに、暗に本社労組役員を企業秩序の破壊者として非難したりした。その他、被告会社は組合活動としてのビラ配布を規制し、また、組合事務所以外の施設の利用につき、被告会社の許可を要する旨制限を強化するなどした。

以上の事実が認められ、右認定に反する被告主張を肯認して前認定を左右するに足りる証拠はない。

2  原告の本社労組における地位と活動状況

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告は入社以来の本社労組組合員として積極的に組合活動に従事し、昭和三五年一一月本社労組青年婦人部結成に際しては中心となって活躍して結成と同時に副部長に就任し、以後、本件転勤命令に至るまでの間、本社青年婦人部常任委員や全国一般大阪地連常任委員などの組合役員として活発な組合活動を展開した。すなわち、その主たるものを列挙すると、原告は昭和三六年六月には青年婦人部を通じての活動のなかで従来、本社事務員中独身男子のみによって行われてきた宿直勤務の慣行をとりあげ、これを不当な労働強化であるとして組合執行部を動かし、ついに同年一二月一五日をもって廃止させ、昭和三七年ごろから塚本労組と共同による青年婦人部機関紙を発行したり、塚本労組青年婦人部との交流を図り、さらに、同年五月には青年婦人部を中心とする学習会を組織して翌三八年五月には自らその役員となって組織拡大などに指導的役割を果たした。そして、昭和三九年二月八日には被告会社が前記のように女子更衣室のガラス戸を半透明ガラスに取替えた措置等に反対して本社女子従業員全員二二名の抗議集会を開催して抗議の決議をしたうえ、同月一〇日被告会社総務部長に抗議文を手交するとともに、その頃右抗議文を掲載したビラを全従業員に配布し、また、被告会社が昭和三九年四月ごろ女子従業員全員に対して以後生理休暇をとるにつき医師の診断書の提出を要求したのに対し、不当な人権侵害であるとして塚本労組女子従業員などに広く教宣するとともに統一労組、非組合員を含めた女子従業員全員の集会を同月末頃二回にわたり開催して診断書の提出を拒否する旨決議して、同月二五日抗議ビラを全従業員に配布して被告会社の措置に強硬に反対した。なお、原告は昭和三九年二月本社労組中央執行委員小沢大二と結婚したが、同人も本社労組の積極的な活動家であった。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

3  本件転勤命令の業務上の必要性と原告に与える影響

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(一)  「京都サービス・ステーション」は、従前は被告会社の営業所組織に属して営業部門とアフターサービス業務を扱っていたけれども、昭和三八年六月ごろ営業不振からアフターサービスのみを扱うサービス・ステーションに格下げされ、主任以下従業員五名で主としてエレベーター等の保守、修理を担当してきた。しかし、その後エレベーターの新設など受注が急増したので、昭和三九年三月ごろから営業所への再度の昇格が要請され、被告会社としても、これを検討していた矢先、同サービス・ステーションの事務所に常駐して、事務関係の書類の作成、電話の応待、経理、外部との連絡など事務関係全般を担当していた唯一の女子従業員的場敏子が同年三月末日から出産休暇に入るので、その補充を早急に必要とした。そこで、被告会社は入社歴一〇年を超え、かつ、一般事務にも経験のある原告を選出して本件転勤命令を発したものである。原告は入社当初は雑用を含む事務関係の職務を担当していたけれども、その後昭和三三年にタイピストとしての技能を修得し、タイピストとして身を立てようとして退社を申出たところ、被告会社から、以後タイピストとして勤務して欲しい旨慰留され、昭和三三年六月から被告本社総務課において津田好栄とともにタイピストとして働き、ときたま、一般事務、雑用に携わっていた。しかしながら、「京都サービス・ステーション」で原告が担当を予定されていた前記一般事務は必ずしもタイプによる事務処理を必要としていないので、同所においてはタイピストとしての原告の技能を十分に活用できる余地はなかった。それに、被告会社では女子従業員はほとんどが現地採用で、本人の意に反し、かつ、勤務地を異にする女子従業員の転勤はいまだ行われた例がなく、前記的場敏子は昭和三九年七月から休暇を終えて出勤し、同サービス・ステーションが同年一〇月一日営業所に昇格した後も、右昇格に伴う人的配置の強化についてみるべきものはなく、同所の一般事務は従前と同様に同女によって一応支障なく処理されてきている。また、原告が「京都サービス・ステーション」に転勤するとなると、従前は片道三〇分ないし四〇分で通勤できたのに片道約二時間も要することとなって、すでに結婚生活にある原告の生活に少からざる不便、不利を与える結果となるばかりか、従業員数がわずかに五名にすぎない同所では積極的に組合活動を進める余地は少なく、本社を舞台とした活発な原告の組合活動も時間的、場所的に制約を受け、本社労組にとっても数少い女子組合員のなかで有力な活動家が本社の職場を離れることによって組合活動力の弱化を招くことが予想される。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

4  本件転勤命令についての不当労働行為の成否

前記1ないし3認定の諸事実を総合すると、原告が転勤を命ぜられた「京都サービス・ステーション」が唯一人の事務担当者的場敏子の産休によってその補充を早急に必要としたことは少くとも是認できる。しかしながら、本件において、被告会社は原告を的場の産休による一時的補充を兼ねて「京都サービス・ステーション」における恒常的な事務担当者として転勤を命じたもので、その結果、同所の事務担当者は原告と的場の二名に増員されたものであるが、的場の産休は早くから予想されていたのにかかわらず、本件転勤命令は、的場が産休に入ってからすぐに二五日も経過してから発令されたものであり、これにあわせて、「京都サービス・ステーション」が営業所に昇格した後もその人的配置につき格別に強化した事実は窺われず、一般事務は出産休暇を終えて出勤してきた的場によって一応支障なく処理されている現状にてらすと、的場が産休の間の一時補充措置として原告の配転を考慮するなら格別、事務担当者の増員をも理由にした本件転勤命令が客観的に合理性のあるものといえるか疑問なしとしない。そればかりか、被告会社が原告を転勤させたのは原告の経験と能力が「京都サービス・ステーション」の事務担当者として最適であると判断した結果であるというが、同所で原告の担当が予定されていた職務内容が、原告のタイピストとしての技能を十分活用できる余地のないものであることは前認定のとおりである。さらに、≪証拠省略≫によれば、本件転勤命令発令後の昭和三九年五月六日、一一日の二回にわたって内山社長は社内放送を通じて本件転勤問題に触れ、そのなかで、本件転勤命令は日頃、勤務の悪い(かような事実がないことは≪証拠省略≫から明らかである)原告に対し懲罰に代え温情として反省を促す意味で発令した旨全従業員に対し公言しているし、また、被告会社では創業以来、その意に反する女子従業員の転勤は、たとえそれが通勤可能地であっても、いまだ一度も行われた例がなく、しかも、原告は一〇年来被告本社総務課に通勤し、結婚生活にも入っているのであるから、通勤等生活上、従前に比べて不利、不便が予想される本件転勤を命ずるに際しては少くともその意向を事前に打診する程度の配慮を尽すのが妥当であるのに、本件転勤命令は原告が前認定のように被告会社の生理休暇についての医師の診断書提出要求につき抗議集会や抗議ビラを配布するなど抗議運動を進めていたさなかに突如、発令されたものであることなどを考えると、被告会社の右主張もにわかに是認しがたい。

おもうに、本件において、被告会社がすでに一〇年余も被告会社に勤務し、かつ、結婚生活にある原告を片道約二時間も要し、従業員わずか五名の「京都サービス・ステーション」に転勤させた真意は原告が活発な組合活動家である夫とともに、本社労組ならびにその上部団体の役員、とくに青年婦人部の有力な女子幹部として前認定のとおり積極的に活動し、被告会社が企画、実行した諸種の施策、すなわち、女子更衣室のガラスの取替え、全女子従業員を対象とする生理休暇に際しての診断書提出などに強硬に抗議して反対決議書を被告会社に提出したり、抗議ビラを一般従業員に配布するなど抗議運動を展開したことから、かような原告の行動を嫌忌していたところ、折しも、「京都サービス・ステーション」の的場が産休のため後任者の一時的な補充を必要としたので、この時期を利用し、原告を本社から離れた場所に遠ざけることによって、その組合活動を弱め、あわせて、本社労組の活動力を減殺する点にあったものと認めるのが相当である。

そうだとすれば、本件転勤命令は原告の正当な組合活動を理由とする不利益取扱に該当するもので、無効であるといわなければならない。

5  本件休職処分の効力について

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

原告は本件転勤命令を受けたが、これを不当として辞令の受領を拒否し、本社労組に交渉を依頼して、その後は「京都サービス・ステーション」にも出勤せず、昭和三九年五月三〇日同サービス・ステーション主任あてに姙娠二ヵ月、子宮位置異常、姙娠悪阻で二ヵ月間安静を要する旨の診断書を添えて欠勤届を提出して休み、その後二ヵ月を経過した同年八月始めごろ被告本社に出社して総務部長藤本朗と面会のうえ、従前どおり被告本社で働かせて貰いたいと申入れたが、同人から、原告の勤務場所は「京都サービス・ステーション」であるとして拒絶された。そこで、原告はその後も出勤しなかったところ、昭和三九年八月三一日付をもって被告会社から就業規則第四六条第一項第六号の規定により期限の定めのない休職処分に付されたものである。

被告会社は、欠勤届の提出によって原告は本件転勤命令を承認した旨主張するが、原告が欠勤届を「京都サービス・ステーション」に提出したのは、原告が最初、被告本社に提出しようとしたところ、総務部長から勤務先の「京都サービス・ステーション」に提出するように指示されたためであって、その提出については被告会社と本社労組、原告の三者間で本件転勤問題とは別個とする旨確認されていたことが、前掲証拠上明らかであるから、原告の右欠勤届の「京都サービス・ステーション」への提出をもって原告が本件転勤命令を承諾していたということはできない。原告が本件転勤命令を不服として終始争ってきたことは本件に顕われた証拠にてらして明白であって、被告会社が原告を休職処分に付したのは、本件転勤命令を承認した原告が欠勤を続けたことによるものではなく、真の理由は原告が本件転勤を拒否して「京都サービス・ステーション」に出勤しないことを理由とするものとみるのが相当である。≪証拠判断省略≫

以上のとおりとすれば、本件休職処分は本件転勤命令と不可分の関係にあるものといえるから、転勤命令が無効である以上、本件休職処分もまた無効であるといわなければならない。

三  以上の次第で、原告の請求中、被告に対し原告が被告本社総務課の従業員たる地位の確認と本件休職処分の意思表示の無効であることの確認を求める部分はいずれも正当として認容すべきものである。

四  つぎに、原告の賃金等の請求につき検討する。

1  賃金について

(一)  原告は本件休職処分の意思表示が原告に到達した昭和三九年九月一日以降本件口頭弁論終結時(昭和四六年一二月一〇日)までの未払賃金と、同日以後の将来の賃金につき支払いを求めているところ、昭和三九年度(一年度は毎年四月一日から翌年三月三一日まで、以下各年度とも同じ)の原告賃金が月額金二三、四〇〇円であること、昭和四〇年度以降昭和四六年度までの毎年度の賃上額は被告会社と本社労組との間に賃金協定(協定内容の詳細は別紙賃上状況一覧表記載のとおりであるが、昭和四二年度賃金協定については協定成立について争いがある)が締結されていること、右賃金協定中には、被告会社が各従業員の勤務成績、業績寄与度などによってそれぞれ支給額をきめる、いわゆる査定部分があるが、原告については各年度にわたり被告会社の査定がなされていないことは当事者間に争いがない。

(二)  被告会社は右賃金協定中査定部分に関する部分の賃金は被告会社の従業員に対する個別的な査定によってはじめて賃上額が具体化するものであるから、被告会社の査定がない以上、右査定部分については原告に賃金請求権はない旨主張する。

原告の賃金請求は、無効な本件休職処分にもとづく原告の就労不能が被告会社の責に帰すべき理由によるものであるために生じた賃金請求権(反対給付請求権)にもとづくものであって、その請求賃金額の範囲は、結局右休職処分がなく、就労を継続していた場合に被告会社から給付さるべき賃金額を合理的、客観的に判定して、確定するほかはないものであり、また、右休職処分の後に労働協約によって賃金の改訂がなされた場合には、これに従って他の同種従業員と同様に処遇せらるべきことも当然といわねばならない。

ところで、本件賃上額の全部ないし一部についての被告会社の査定は、後記認定のとおり労働協約たる賃金協定(後掲各賃金協定書の内容、方式により労働協約と認むべきことは明らかである)で、これを行うことが約定されたものであるから、この限度において、被告会社の査定権限および査定の結果確定される配分額を従業員に支給すべき義務は、右労働協約に由来することはいうまでもない。

したがって、右査定部分が労働協約上機械的に算出できず、会社の査定をまってその具体的金額が確定されるものであるとしても、後記認定のように被告会社において査定を全くしないことは許されておらず、賃金協定上配分の原資、平均支給額が明示され、そのうえ、合理的かつ公平な査定基準の設定、運用が予定されており、しかも、毎年四月の賃金改訂期に賃金協定による賃上が行わるべきことを通例としていた事情をもしんしゃくすると、従業員は、右賃金協定の効力として、査定による具体的配分額の確定以前においても査定部分の支給を受くべきものとしての、いわば基本的、抽象的請求権を有するものとして解して妨げなく、査定の結果それが具体化して配分額の確定をみるものとみるべきである。

そうすると、本件のように、被告会社が原告を不当に休職処分に付し、その就労を拒否している結果査定の基礎となる実蹟および資料を欠いている場合においては、右賃金協定の内容と協定上予定された運用ならびに運用の実態等諸般の事情を勘案し、原告に右休職処分がなかったならば当然に支給をうけたであろう配分額が客観的合理的に認定できる範囲で右金額につき賃金協定の効力は原告に及ぶものと解するのが相当である(賃金協定中、支給額が月額賃金に対する一定の係数または定額加算として定められ、協定自体から直ちに算出可能の部分につき効力の及ぶことはいうまでもない)。これを要するに、本件査定部分の請求は、原告の有する前記反対給付請求権たる賃金請求権の内容として、査定についての協定を含む賃金協定の効力から、客観的、合理的な範囲における賃金額を確定することに帰するわけである。

この場合、被告主張のように、原告に対する査定がないことを理由として、査定部分を賃金として請求できないとすれば、会社の不当な処遇を受けた者が他の同種従業員との間に賃金の上で差別を生ずる結果となって不合理であることは明らかである。あるいは、右査定部分については、会社の債務不履行ないしは不法行為を理由とする損害金の支払をうけることによって救済さるべきであるとの見解もあるがこの見解は、休職処分が無効となる結果から生ずる従業員の法律関係にてらしても、その実態に副わない迂遠な解決と評すべきもので、採るをえない。

しかして、≪証拠省略≫を総合すると、本件賃金協定(ただし、昭和四二年度については賃金協定が締結されていないので除く)で被告会社の行う査定はその性質上一応被告会社の権限とされている反面、まったく被告会社の自由な裁量に任かせられた無制約なものではなく、被告の責に帰することのできない事由など特別の場合を除外して査定をしないことは許されないものと解されるのみか、合理的、かつ、公平な査定基準の設定・運用をなすべきことはもとより、各年度において配分すべき原資額の点についても、賃金協定から明白となる金額(賃金協定では賃上に供される原資総額を全従業員数で除した金額が会社従業員一人平均賃上額として明示され、査定配分額は右金額に対する一定の割合として表示される)を各人別に適正に配分すべく拘束されている。そのうえ、各年度の賃金協定中、昭和三九年度から昭和四一年度においては査定によって年令、学歴、勤続年数により区分けした従業員の相互の基本給に極端な格差が生じないように基本給基準額表を賃金協定に添付して査定の運用について一応の規制をくわえており、さらに、各年度の賃金協定(ただし、昭和四一年、四三年度を除く)締結にあたっては被告会社が考課査定した結果によって配分した従業員の個人別賃上額案を事前に組合に提示し、それが、賃金協定上の平均賃上額案と大差ないか否かを組合があらかじめ検討して妥結に至るのを通例としてきた。とくに、昭和四五年度の賃金協定は本社労組が独自に作成した平均賃上額にほぼ合致する賃上配分案をもって、具体的な各人別賃上額とすることで妥結し、同年度については被告会社は事実上査定を行っていない。また、被告会社の各年度を通じての査定結果をみると、通常の勤務能力と勤務成績を有すると思われる従業員の多数について当該年度の平均査定配分額にほぼ相応する中間段階に格付されている(このことは、昭和四一年度の査定基準にてらしても容易に推認できる。すなわち、同年度の平均査定配分額は金八八〇円であるところ、被告会社は従業員を金一五〇〇円に相当するA段階から〇円より金一〇〇円に相当するG段階に至るまで七段階に区分して格付した。したがって、平均査定配分額金八八〇円は右の中間段階に相当するとみれる。なお、昭和四一、四三年度の査定において本社労組の多数は総じて下位段階に格付されたが、本社労組はこれを差別による不当労働行為として救済命令を申立てた結果、地労委、中労委を通じて右申立が認容され、平均賃上額の賃上を命じた救済命令が発せられているので、本社労組員に対する右査定をもって通常の査定実態とすることはできない)ことが、それぞれ明らかである。

右によれば、本件賃金協定においては平均的な勤務能力と勤務成績を有し、かつ、勤続年数による企業貢献度も十分な従業員に対しては少くとも賃金協定上明らかな平均査定配分額を下廻らない金額をもって査定による賃上額とすることが協定の運用上前提とされていて査定はこれを基礎として合理的、かつ、公正に運用すべく予定されているものと認めるのが相当である。そうだとすれば、本件のように、いやしくも、被告会社の責に帰すべき事由に起因して査定がなされないときは、右査定の対象とならなかった従業員については査定前における勤務能力、勤務成績がその後低下を来たすべき特段の事情の認められない限り、少くとも当該年度の賃金協定に定められた平均査定配分額をもって、査定が行われていたならば、受くべきであった賃金額とするのが最も合理的であり、かつ、右配分額の判定は客観的にも可能であるから、前記説示にてらし、査定部分についての協定の効力は、右平均査定配分額の限度で原告にも及ぶものと解するのが相当である。しかして、≪証拠省略≫によると、原告のタイピストとしての能力、成績は決して平均より劣るものではなく、むしろ、優れていることが明らかであって、しかも、本件休職処分後、勤務能力や勤務成績の低下をきたす特段の事情が認められないから、すでに勤続年数一〇数年余におよび企業貢献度も十分な原告は各賃金協定に定められた平均査定配分額をもって査定部分に対する自己の賃上額として被告会社に請求できるものといわなければならない。

なお、昭和四二年度については被告会社と本社労組間の賃金協定はいまだ締結されていないが、≪証拠省略≫によると、同年度の賃金協定が締結されないのは被告会社が本社労組に対し事前に提示した本社労組員に対する査定配分額が会社平均賃上額よりかなり低額であったことから、それに本社労組が不満を示したことによるものであって、とくに、同年度の被告会社協定案の内容(別紙賃上状況一覧表中昭和四二年度欄記載のものと同一である)に問題があったわけではなく、むしろ、本社労組としては査定配分さえ適正に実施されればこれで妥結する意向であった。本社労組を除く、他労組(統一組合、旧塚本労組)は現に、右協定案で妥結し、従業員一人平均金三、〇八六円の賃上額の支給を受け、また、本社労組員も緊急命令によるけれども、右金額と同額の賃上を実施されていることが、それぞれ明らかであるから、同年度の被告会社と本社労組間の賃金協定は実質的にこれをみれば妥結したものと称して妨げなく、したがって、原告は同年度については現実に実施された平均賃上額金三、〇八六円をもって自己の賃上額として被告会社に請求できるものとするのが相当である。

(三)  そこで、以上の見解にもとづき各年度の賃金協定に依拠して昭和三九年九月分以降昭和四六年一一月分まで(被告会社の賃金が毎月一日から月末までの分を毎月二五日限り支払うことは≪証拠省略≫から明らかであるところ、本件口頭弁論終結日は昭和四六年一二月一〇日であるから、昭和四六年一二月分の賃金についてはいまだ支払期日は到来していない)の原告の月額賃金と各年度合計額を算出すると、その金額(円以下切捨)は左記のとおりである。

なお、昭和四〇年度の被告会社の平均賃金が金二五、二七二円であることは原告において明らかに争わず、また、昭和四一年度のそれが金二五、二九三円であることは≪証拠省略≫から明らかであるから、昭和四〇、四一年度賃金協定による賃上額中、基本給比例部分は右数値をもとに被告会社主張(答弁三1(二))の数式に依拠してこれを算出した。

月額賃金・合計額

(1) 昭和三九年度 金二三、四〇〇円

金一六三、八〇〇円

(2) 昭和四〇年度 金二五、一一九円

金三〇一、四二八円

(3) 昭和四一年度 金二七、三一〇円

金三二七、七二〇円

(4) 昭和四二年度 金三〇、三九六円

金三六四、七五二円

(5) 昭和四三年度 金三四、二九六円

金四一一、五五二円

(6) 昭和四四年度 金四〇、二九六円

金四八三、五五二円

(7) 昭和四五年度 金四八、八九六円

金五八六、七五二円

(8) 昭和四六年度 金五七、〇九六円

金四五六、七六八円

合計  金三、〇九六、三二四円

2  夏季および年末一時金について

(一)  原告は被告会社に対し昭和三九年度夏季一時金以降昭和四六年度年末一時金に至るまで毎年度夏季および年末一時金をそれぞれ請求するところ、原告の昭和三九年度夏季一時金が金五五、八二〇円であること、昭和四〇年度以降の一時金について被告会社と本社労組との間に一時金協定(その内容の詳細は別紙一時金一覧表記載のとおりである。なお、同一覧表記載の各協定書がいずれも労働協約であることは、≪証拠省略≫の内容とその方式により明らかである。)が締結されていること、ならびに右協定中昭和四二年末一時金協定以降の協定のなかには賃金協定と同様に被告会社の査定によって支給額をきめる、いわゆる査定部分があるが原告につきその査定がないことは当事者間に争いがない。

ところで、一時金についての査定が賃金の項で検討した査定の機能、運用の原則的実態などと、とくに別異に解すべき資料のない本件では、一時金のうちの査定部分についても、原告は各一時金協定に定められた平均査定配分額(前段1で認定した各年度の基本給に対する査定配分の割合)をもって支給を受けるべき一時金として被告会社に対し請求できるものというべきであって、その根拠は、前段1で賃金請求権につき説示したと同一に解すべきものである。

(二)  そこで、以上の見解にもとづき各年度の一時金協定に依拠して原告が支給を受けるべき夏季および年末一時金を算出すると、その金額(円以下切捨)は左記のとおりである。

なお、昭和四二年度年末一時金以降の協定(ただし、昭和四三年度夏季一時金協定を除く)においては一部一時金支給額を従業員の基本給に比例して算出する旨協定されているが、すでに賃金の項(三)で検討したとおり、昭和四〇、四一年度における被告会社の平均賃金と各前年度の原告の賃金との格差は昭和四〇年度においては金一、八六九円、昭和四一年度においてはわずかに金一七三円と著るしく接近していることから、翌年度以降においては原告の賃金は会社平均額賃金を上廻る公算がきわめて大きいうえ、≪証拠省略≫によると、被告会社は本社労組員に対し、昭和四二年度年末一時金、昭和四六年度夏季一時金中、従業員の基本給比例によって支給額を算出する部分につき、その作業をせずに各従業員の月額基本給に協定上の配分率(基本給比例部分とされた配分割合)を乗じた金額をもって一律に基本給比例部分としていることが窺えるから、原告が支給を受けるべき基本給比例部分についても、原告主張のように原告の各年度の賃金月額に各一時金協定に定められた基本給比例割合を乗じた金額をもって、算出しても不当とはいえないので、これに依拠して算出した。

(1) 昭和三九年度年末一時金 金 五五、八二〇円

(2) 昭和四〇年度夏季一時金 金 三七、六八〇円

(3) 同年度年末一時金    金 四三、七〇四円

(4) 昭和四一年度夏季一時金 金 四三、六九六円

(5) 同年度年末一時金    金 五〇、三五八円

(6) 昭和四二年度夏季一時金 金 六〇、七九二円

(7) 同年度年末一時金    金 六九、九一〇円

(8) 昭和四三年度夏季一時金 金 七二、〇二一円

(9) 同年度年末一時金    金一〇二、八八八円

(10) 昭和四四年度夏季一時金 金 八〇、五九二円

(11) 同年度年末一時金    金一二〇、八八八円

(12) 昭和四五年度夏季一時金 金一〇五、六八一円

(13) 同年度年末一時金    金一四六、六八八円

(14) 昭和四六年度夏季一時金 金一一九、九〇一円

合計金一、一一〇、六一九円

3  通勤手当について

≪証拠省略≫を総合すると、被告会社では従業員が通勤のため交通機関の定期券を購入し、また、これに準ずる場合(自家用車による通勤など)には当該従業員に対し所定の金額内においては所要実費、それを超過する場合は右所定金額を限度として毎月一日から月末までの一ヵ月分を当月二五日に通勤手当として支給することとし、右所定金額は交通費の増額にともなって逐次増額されたが、長期欠勤者、長期不就業者等にはその期間中、通勤手当の支給はないこととされていたことが認められる。右によれば、被告会社が支給する通勤手当は従業員たる地位にともなって支給される賃金の性質を有するものではなく、実費の一部補填たる性質を有するものと解するのが相当であるから、現実に就労していない原告は通勤手当を請求する権利を有しないものというべきである。

4  食費補助費について

≪証拠省略≫によると、被告会社は従来、塚本工場勤務の従業員には二日に一本の割合で牛乳を支給していたのにならって、本社従業員に対しても、食費を補助する趣旨で出勤一日につき金一〇円に相当する券を支給し、従業員はこれを社内食堂などで現金等価のものとして使用していたが、右券は出勤者に対してのみ支給され、現実に出勤しない者には支給されないこととなっていたことが明らかであるから、本件休職処分後出勤していない原告は右食費補助費を請求する権利を有しないものといわなければならない。

5  運動会補助金について

≪証拠省略≫によると、被告会社は毎年春秋二回各部課単位で行われる従業員の慰安親睦会の経費補助として参加者一人当り一定の金額(昭和三八年度においては春季は金七〇〇円、秋季は金八〇〇円であったがその後春秋とも各金八〇〇円となった)を支給しているが、右金員は参加者各個人に支給されるものではなく、参加者が所属する部課に対し供与されるもので、もとより不参加者に対しては支給されていないことが明らかであるから、原告は右補助金を請求する権利を有しないものというべきである。

6  口頭弁論終結時以降の賃金について

本件口頭弁論終結時(昭和四六年一二月一〇日)にいまだ支払日の到来していない昭和四六年一二月分以降被告会社が原告を現実に就労させるまでの賃金については、本件休職処分(昭和三九年九月一日)以来すでに七年余も経過し、その間、被告会社は保全訴訟の第一、二審で敗訴したにもかかわらず、終始一貫して本件休職処分が有効であることを主張して原告の就労を拒否している現状にてらせば、被告会社は今後とも将来にわたって任意に原告を就労させ、賃金を支払うことはとうてい期待できないから、本訴において終期を付することなくあらかじめ請求する必要があることは十分是認できる。したがって、原告は昭和四六年一二月分以降毎月二五日限り将来にわたって本件口頭弁論終結当時の原告の賃金五七、〇九六円ずつの支払いを被告会社に請求できるものといわなければならない。

五  以上の次第で、原告の賃金等の請求は賃金として金三、〇九六、三二四円、夏季および年末一時金として金一、一一〇、六一九円および原告がこれら金員の合計金四、二〇六、九四三円の支払を求める意思表示をした昭和四六年一一月一六日付準備書面が被告会社に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和四六年一二月一日から右支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、将来の賃金として昭和四六年一二月以降毎月二五日限り金五七、〇九六円ずつの支払いを求める限度において正当として認容すべきであって、その余の請求は失当として棄却すべきものである。

六  よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、金員請求に関する仮執行の宣言は、主文第三(一)項につき同法第一九六条にしたがって、これを付し、その他の部分については、これを付さないのを相当と認め、その宣言をしないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斉藤平伍 裁判官 神田正夫 三島昱夫)

<以下省略>

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